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月に吠える
いわずもがな萩原朔太郎である。詩集「月に吠える」の序文が秀逸である。
どこでこの認識を得たのか不明だが、私の中では「月に吠える=無意味なことをする」なのである。
月に吠えたって意味がないのだから。
「月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のような不吉の謎である。犬は遠吠えをする。」
ここでいう月は、不吉の象徴である。私はここでさらに、月に”人生”という意味を与えたい。
人生に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、人生は青白い幽霊のような不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
朔太郎は序文でこうも言う。
「詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである」
ここで、”月に吠える=(人生に対して)詩を作る”という意味を与えたい。
詩を作る犬は、自分の影に怪しみ恐れて詩をつくるのである。疾患する犬の心に、人生は青白い幽霊のような不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
自分の影(=人生が映す自分の影)に怪しみ恐れて病める犬は、詩をつくる(=月に吠える)ことで自分自身を慰める。
そして、詩をつくることは基本的にナンセンスなことなので、月に吠える=無意味なことをする、といえる。
更に言うと、月に吠えるとき、他に何もしていない。つまり、月に吠えるという行為はそのまま、”生きる”ということにつながるのではないか。
.......なぜなら生きることが、最大のナンセンスだから。
(2016.07.21)
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